人はだれでも心の内の喜怒哀楽の感情や意思を表情に表し、人とのかかわりを深めてきたように、クラフト作品にも工業製品には見られない独特の表情が宿され、人の生活を和ませてきました。それは作者の手と心が作品のすみずみにまで行き届いた作者の精神のようなものでしょうか。
ところが近年、赤ちゃんが微笑み返せなくなったり、笑顔であいさつできない小学生がふえています。おとなでも表情に乏しく、就職の面接で笑顔に自信の持てない若者が笑顔トレーニングの指導を受けるというほどです。
これはテレビ・インターネット・携帯電話など生活の情報化がすすんだため、家族やふだんの人間関係に向き合って語り合う時間が激減し、お互いの気持ちを率直に語ることやゆったりとした表情交流が難しくなったからです。家族や学校での心の教育が叫ばれている背景の一つと言えます。
一方、競争原理の市場経済に根ざした生活用晶は、手の働きを排除した成型主体の量産品のため、どうしても無機質な表情になりがちです。しかも魅力を取り戻そうとする過剰な装飾が、かえって人の心をいらだたせているようです。
クラフトはこの現代のいらだちを癒すオアシスでありヒューマニズムです。クラフトはほっとする、温かみを感じる、ずっと使っていたくなるような表情を相手に伝えるのです。クラフトの表情は作者の心が作品に宿り、作品の内面性として内から外ににじみでてくるからです。ぜいたくな材の使い方、加工技術の巧みさ、カラクリの精巧性などが、クラフトの表情を豊かにするのではありません。
しかし表情の本質は内面性の表出です。作者が私たちに何を語ろうとするのかの表れです。おそらくその第一の要件は作者自身が材と向き合い、制作の過程で何を語らったかということではないかと思われます。
確かにこのクラフト展では年々加工技術が高度になってきました。しかしクラフトは加工技術の高さや美的表現だけに価値があるわけではありません。ことに「遊び、戯れ、木のぬくもり」というテーマは、現代社会の自然性や人間性を尊んでいます。向き合う心の交流をみんなで求めているのです。
アマチュア作家が不慣れな加工技術を気にしたり、高価な材が使えないことなどからクラフト展の出品をあきらめるようなことはないでしょうか。現代社会がクラフトに求めているのは、作者が材と向き合い、家族と語らいながら制作するプロセスがクラフトの表情となり、それに触れる人々に優しく語りかけることなのですから。