木のものには木ならではのやさしさと親しさがある。住まいも木、椅子・腰掛けも木、子らのオモチャも木で創って暮らしたいとなぜかそう想うのは、たぶん木がヒトと同じ生物だからだろう。
木は植物という名の生きた素材、野山に生え育ちCO2を吸い酸素を吐いて呼吸している。ヒトが街で酸素を吸いCO2を吐いて暮らしているように。
ヒトが木のものに親しみを覚えるのは木が椅子やオモチャになってからもなお呼吸して生き続けて体温ももっているからだ。オモチャなどになった木はCO2の呼吸は止めるが、空気中の水分H2Oを吸ったり吐いたりして体温を調節し、法隆寺の檜の柱は1000年以上も建物に生きつづけている。
木のもの、とくに白木(素木)のものにぼくらがことさら親しみを覚えるのは、無塗装の木のものの木肌がしっとりと空気に馴染んでほんのり暖かく肌にやさしく感じるからだろう。
木とヒトは、お互いに肌の合う間柄なのだ。ヒトが動物という名の生物で木が植物という名の生物で、ともに生きている同士だからではないのか。
昔から日本の住まいが白木づくりで、天地根元(てんちこんげん)造りの神社も白木づくりで桶も樽も白木でつくり、客をもてなす箸には塗り箸を使わないで白木の割箸を供し、白木の積み木をラッカー塗りのものよりも好む日本人の白木好みにぼくは、木とのつきあい方の英知を感じる。
兵庫県の「丹波年輪の里」で、毎年開催される「全国ウッドクラフト公募展」(木の遊具・童具・オモチャの公募展)は今回で五回目。逐年秀作が増え続けているが、やはりここでも白木のものが目立つ。
文句なしグランプリに輝いた鳥取の榎強志の「おもちゃ文庫」も白木だった。
それは写真(奥)のような、意外性も抜群でデザインもつくりも完璧な、子供も大人も楽しめそうなウッドクラフトだった。
昔なつかしいコリントゲームやすもう人形などがミシンワークで文庫サイズの板のなかに十数アイテム、はめ絵パズル構成で詰まっている。
昔から遊び馴染んだオモチャが、木の文庫本にぎっしりなのだ。名づけて「おもちゃ文庫」。ネーミングもいい。手にとってみたらほんのり、木のぬくもりが伝わってきた。木のものならではのやさしさ親しさが……。
ところで、
これからのウッドクラフトはさて? 何を、どんなふうに創り続けたらいいのか?
私見だが、ウッドクラフトには二つの道が開かれているのでは?
一つはこれまでに引き続き、ユーザーが喜んで買い求め、木のものってほんとにいいなあ、とほれこんで、使い捨てにしないで愛用してくれるような椅子やテーブルウエアやオモチャを、工夫し続けて創るクラフトの道。
もう一つの道。週休二日制や高齢化社会の、いわばヒマをウッドクラフト工作で活かす、工作で人生を豊かにすごすホビークラフトの道。 いわば売らないもの創り。
前記の「全国ウッドクラフト公募展」で優秀賞を受賞した宝塚に住む女性・中山フクエさんの作品「何羽ことりがいますか?」(写真手前)がこの売らないクラフトの秀作。工作で人生を楽しんだもののいいお手本だった。
アルカイックな造型の可愛い表情の小鳥たちが自然木の小枝にとまってさえずったり話し合ったり。白木の鳥がいたり赤と緑の珍しい鳥がいたり。青い烏も。
「親娘二人で創ったのかなあ」
「造型力、あるねえ!」
「ナイフと彫刻刀だけで創れそう」
「はやりのバードカービングより楽しんでるよ。木と、木の工作と、人生を」
コンペの審査員たちの会話である。
クラフトデザインの道とホビークラフトの道がこれからのウッドクラフトの二つの大道。
どちらも人生を木とともに歩む道だ。